- 第二節 イルーサヴィアとデューナレウ
- さあ見よ。アリュゼルの女神たちが顕現する。
虚空の遙か高み、宙の一点が比類なき輝きを放つ。
——と、瞬刻にして、この白銀の光はアリューザ・ガルドに
二者は、自分たちが何者なのか理解していた。忌まわしい宿業からは離別した。過去生における記憶は次第次第に薄れつつある。
澄んだ白い肌。髪の色は薄紫で、瞳の色もまた同じ。身を包むは、純白の神衣。か弱く、未だ幼さの残る少女を
二人が足を踏み出して地面に降り立つと、人の丈ほどの大きさだった光は凝縮し、音もなく空の彼方へと飛び去っていった。
(後述するが、この光は四方へと散らばり、アリューザ・ガルドにおける東西南北の護り手となるのだ)
“白銀”という
◆◆◆◆
二柱の女神たちが具現化した場所は、やはりアガントゥの山腹、草原地帯。蒸すような草の匂いを嗅いだ二人は言いようのない懐かしさを感じ、安心するのだった。
周囲は濃い霧に包まれており、視界はまったく遮られている。足元はぬかるんでいて、つい先刻まで篠突く雨が降っていたようである。
二人は手を取り合い、身を隠すことのできる岩陰を探し当てると、晴れるのを待った。
ここで疑念を生じさせる者もいよう。
アリューザ・ガルドを創造したアリュゼルの女神が、なぜ神の奇蹟を行使しないのか、と。
全知全能にも近しい女神たちの権能をもってすれば、雨を避けるのも、晴れを
——このことは
変化を生じさせた、その行為には必ず結果・代償が伴う。
因果を
さて、二人の女神がいくら待てど濃霧は晴れるばかりか、天候は悪化の一途を辿っていった。草原地帯は凄まじく発達した雷雲のまっただ中に入り、暴風雪や雷が絶えず襲い来る、酷い嵐の様相となった。
人の時間にして一週間ばかり過ぎた頃、ようやく猛烈な嵐が収まった。
いずれ空は晴れ渡り、美しかったあの満天の星々を、
草原地帯は雲に包まれたままなのだ。
しびれを切らした二人はアガントゥを降りることを決意した。
足元がおぼつかない道中、姉のイルーサヴィアがデューナレウを導いていく。困難な道のりではあったが、どうにか二人は雲の厚い層を抜けた。見上げると、黒い雲が上空すべてを覆いつくしている。ゆえに月も、星々の輝きも地上に届くことはない。アガントゥは
このような事態ははじめてであった。
寄せては返す波。だが水面に映るものは何もない。深い闇の中、静寂さだけが際立つ。視線を戻し、遙か前方を見据える。向こう岸には、スマキオの環状山脈——アガントゥをぐるりと囲んでいる——が黒々とそびえている。ここは地中海のほとりなのだ。
◆◆◆◆
二人の脳裏に情景が蘇る。それは生前——“
——虚空から見下ろすアリューザ・ガルドには、
ヴァルドデューンらが死んでから、いかほどの時間が流れたのかは定かでない。が、この地中海を渡り、環状山脈を越えればきっと広大な世界が続いているのだ。
「あの山々を越えましょう」
イルーサヴィアは妹に言った。
「きっとそこは海しかない世界。新天地を創りましょう」
「イルー、でもね。急ぎたいことがひとつあるの。この黒い雲を消し去って、空に光を取り戻したいわ。真っ暗闇は、本当に
デューナレウは
「そうね、私もそう思う。けれどデューン。雲を消すと言っても漠然としすぎていて、私たちにはそのすべが分からない」
「大雑把に言ってしまえば、雲って水が集まったものでしょう。雨を降らせてしまえばいいんじゃないかしら?」
「それは反射的に言うべきことではないわ」
イルーサヴィアは妹を
「私たちは世界を——
「……さあ、海を越えるわよ。ここはひとつ、私たちの力を使いましょう。内に宿る力だけを使うのであれば、問題はないもの」
イルーサヴィアは努めて明るく言った。
デューナレウも影を振り払った。
「イルー。海辺でゆっくり過ごすのもいいと思うわ。私たち、時間だけはたっぷりあるもの」
それを聞いてイルーサヴィアは肩をすくめた。それでいて彼女とてまんざらでもない、といった様子だ。
「そうね。急がずにやっていきましょう。世界をよく見渡して、見極めて——創っていきましょう。命ある輝く世界を」
彼女たちの瞳の色が輝く金色へと変色する。女神はここではじめて神としての力を行使した。“女神の海渡り”である。海上を飛び渡って地中海を越えたのだ。途中で女神達は三十回、海面に足を付けたとされている。この一渡り分の距離が、のちに一海里と定められたという。
こうして“海渡り”を終えた二人は岸辺でしばし休んだ後、進み始める。いよいよ急峻なスマキオの山々を登り始めた。
「……この山の向こう、空は晴れているのかしら?」
荒々しい岩肌をよじりながら、デューナレウは不安そうに呟くのだった。
果たして、デューナレウの不安は的中することとなる。
連なるスマキオの峰のうち、アガントゥに近い最初の峰であるウスウォズの頂に至った彼女たちは長いことそこに留まると、山脈の構造を把握した。それから最も高いジスア・バゥの頂を目指し、権能を行使して軽々と飛び立っていった。
彼女たちはそこで外の世界の有様をまざまざと知るのだった。
◆◆◆◆
外の世界——そのどこを見ても地上は
海などどこにも存在しない。生命力を感じない、乾ききった岩盤のみが黒々と地平線の彼方にまで続いていた。
「なんてこと——!」
二人は絶句するほかなかった。自分たちが“
「あれを見て!」
上空の様が変化したのを察知し、イルーサヴィアは警戒した。雲の中から
「竜巻ね。……イルー、どうする? あれくらいなら、ぶっ潰しちゃいましょうか?」
デューナレウが言った。
二人は顔を見合わせたあと、示し合わせたかのように身構える。そのとき——
「お待ちを。私は竜巻ではありません。それは“風”の領分ですもの。私は“
雲の中、