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第一章 世のはじまり

第一節 ヴァルドデューンとザビュール
 意志ある存在の出現によりひとつの世界の存在が確定し——
 悠久とも言えるほどに停まっていた時が動き出した——

[第一の生]

 とある山の中腹。ここに意志ある存在――二人の兄弟が姿を現した。
 名をそれぞれヴァルドデューン、ザビュールという。彼らは、ただの人の兄弟ではない。二柱の神である。

 見上げれば天空に太陽は存在せず、漆黒たる夜の(とばり)が常に世界を包み込んでいる。
 満天の星々の瞬きだけが山腹に(かそ)けき光をもたらしていた。

「静かだ」
 兄のヴァルドデューンが声を発した。
 彼の発言により、世界に“音”と“(こと)()”が誕生した。すると兄弟の耳には木々のさやぐ音や虫たちの鳴き声が聞こえるようになった。
「そして真っ暗だ」
 弟のザビュールが言った。彼は虫の鳴き声を一節、真似てみた。
 調子の異なるいくつかの音を発したところで、ザビュールは押し黙った。常闇(とこやみ)の地において、植物たちや虫たちは静かに、慎ましやかに暮らしているがためだ。
 二人の兄弟もまた静けさを愛し、夜の星空を愛するようになった。

 兄弟は、この山腹――すなわち緑あふれる草原地帯にて育っていくこととなる。
 ――“緑あふれる”とはいえ、黒闇(こくあん)の中で“緑”という(いろど)りが視えるわけではない。二人は感じ取っていたのだ。それは草木の匂いであり、大自然の気配であった。
 草原の気候は心地よく、また果実や木の実がそこかしこにあったため、日々の暮らしに困ることはなかった。
 こうして兄弟の神々は助け合いながら、健やかに成長していった。

 時を経て、二者が少年期に差し掛かると、彼らは自分達がなぜこの地に現界したのか、その意味を求めるようになった。彼らには生前の記憶はない。ただ“アリュゼルの神々”という単語のみが兄弟の神核、その奥底に刻み込まれているのを()っている。
 アリュゼルとは? 自分達は果たして何者なのか? 他に仲間はいないのか?
 それらに応える者は誰ひとりいない。長いこと草原で暮らしてきたものの、人の気配などまったくないのだ。鳥獣の声すら聞くことはない。そして生い茂った草木は沈黙するままである。
 二人は仲のよい兄弟であったものの、彼らのみで暮らし続けることに耐えがたい孤立感を強めていった。

 兄弟は生まれ育った草原地帯を後にして、他の場所へ行ってみることにした。彼らに助言を与えうる存在、あるいは父母とも呼べる存在がどこかにいるかもしれない。そんな期待を抱きつつ。だが山腹を一回りしたところで、何も状況は変わらなかった。
 そこで彼らは山を登ってみることにした。この岩山はとても急峻(きゅうしゅん)で、登攀(とうはん)は危険と困難を極める。どんなに上を仰ぎ見ようとも頂を見ることはできない。
「遠くを見渡せる場所を探そう。そうしたら周りの景色がよく見えるだろう」
 ヴァルドデューンの言葉に弟は(うなず)いた。こうして彼らは暗闇の中、草木をかき分け、岩場をよじり、断崖絶壁を這い進み――ただひたすらに上へ上へ。峨々(がが)たる岩山を登っていった。

 彼らは幾多の困難の果て、ついに切り立った斜面を登りつめた。山の尾根。二者は眼下に広がる景色を眺望した。かすかな星明かりのみを頼りに、彼らは長いこと世界の情景を見渡した。やがて二人は揃ってがくりと膝をついた。力なく、両手を地面につけて前屈みになると、吐くように嗚咽(おえつ)した。
「ああ、なんということだ」
 二者は、世界のあるがままの姿を知ってしまったのだ。すなわち、意志ある存在は彼らしか存在しないという酷な真実を。

 麓一帯に広がるのは荒涼とした大地。それが地平の果てに至るまで続いている。時折、雲の層が山を包み込むも、大地に水をもたらすことはなかった。水の恩恵を受けるのは高々と屹立(きつりつ)する、この霊峰のみであった。生命の母たる海は何処にも存在しない。
 このような有様では闊歩(かっぽ)する生物が誕生するはずもない。生命と呼べるものはこの山に根を張る植物や、それに関わる小さな虫たちのみ。

 世界は静謐(せいひつ)なままに、ただ存在していた。

 とめどない慟哭(どうこく)の果て、ヴァルドデューンは絶望した。
「ザビュールよ。これが世界だというのか。地平を見渡すかぎり何もない孤独な世界! 私たちは、命あるかぎり生き続けなければならないのか!」
 二者は自らの命を絶とうとしたものの、神性をいだく身においては自害できない。よって兄が弟を、弟が兄を、互いを殺すことで世界から消え去ろうと決意した。その手に短刀を構えて対峙する兄弟。涙を拭い、覚悟を決めた彼らは己が獲物を相手の胸元へ深々と突き刺していく。心の臓の奥――彼らの神核は完全に破壊された。
 ここに、はじめての殺人が起こった。だが、悪の概念は存在しない。二人の感情が絶望と憐憫(れんびん)に包まれているがゆえに。
 しかしながら他人の命を奪うという業は大いなる(とが)である。
 よって、深遠にして淵源(えんげん)たる“運命”は、彼らが秘める宿業を喚び起こし、ここに定めた。
 すなわち、
『二人は必ず相争う』
 という宿業を。

 兄弟の神々は死んだ。
 魂はすぐには肉体から離れることはせず、しばし山に留まることとなった。兄弟の魂は安息を得ていた。この世界の束縛から逃れ、死後の世界――すなわち“幽想の界(サダノス)”へと向かうことを知ったためだ。
 いかな神とはいえ、“幽想の界(サダノス)”とはどのような場所なのか知り得ることはない。また“幽想の界(サダノス)”での体験や記憶を、現世(うつしよ)の時空では決して思い出すことはできない。死とは、かように謎多き概念でありながら、万象全てに関わるものでもあるのだ。

 やがて現世(うつしよ)での束縛から解放されると、二者の魂は山の稜線から虚空高くへとゆるやかに舞い上がっていく。その途上で、二者の魂は世界の全容を遠望するのだった。

 星々が散らばるまったき虚空には、ひとつの世界が()る。この静謐(せいひつ)な世界がいつの頃から存在しているのか、定かではない。世界は長い円筒形を(かたど)っており、頑強な岩によって形成されている。円柱の底はどこまで続いているのか計り知れず、深遠の宇宙の闇へと隠れている。
 円筒の頭頂部は平らになっている。二者が山の尾根から眺めやったとおり、乾ききった大地のみが広がる寒々しい景色だ。大地の中央部には、いと高い山がひとつそびえ立っている。二者が生きてきた山だ。その頂は果てがないかのごとく、虚空を貫いている。いかなる場所から頂を(うかが)おうとしても、決して叶わないのだ。
「アガントゥ……」
 (いぶか)しがるザビュールの(つぶや)きが、この時より山の名前となった。すなわち“頂無き山”アガントゥである。

 二者の魂は“幽想の界(サダノス)”に辿り着き――

 永らく留まり――

 あろうことか、再びこの世界に顕現(けんげん)したのだ。

◆◆◆◆

[第二の生]

 二者が具現したのはまたしてもアガントゥの山中、緑に覆われた草原地帯であった。
 そしてまず自分たちのことをヴァルドデューン、ザビュールと認識した。記憶は続いていたのだ。――“幽想の界(サダノス)”のことは欠片も思い出せないが。

 兄弟は、もはやこの世界から逃れることはできないと悟った。彼らは死を安易に選ぶことはせず、生きると決意した。常闇のただ中にある寥々(りょうりょう)たる世界を、命ある輝く世界へと創り変えていくのだ。自分たち“アリュゼルの神々”は、そのためにここに()ばれたのかもしれない。
「僕たちの思うように世界を創っていこう」
 兄弟の神々は誓言し、誓いを立てた証しとして世界に名前をつけた。

 ——アリューザ・ガルド——

 “アリュゼルの神々”が創りし世界、という意味を込めたのだ。
 神々による創世が、いよいよはじまろうとしていた。

 しかしそれは容易(たやす)いものではなかった。なぜなら、二者の仲は長くは保たなかったためだ。
『二人は必ず相争う』
 この宿業を持ち、現界したがゆえに。
 第一の生において静寂を良しとした二人。今生は衝動に突き動かされるまま互いに競いあい――憎むようにすらなってしまった。衝動とはすなわち殺意の衝動である。
 アリューザ・ガルドに“悪”の概念が誕生してしまったのだ。

 二柱の神は戦った。彼らの権能は全知全能に近しく、二人の戦いは天地を大いに揺るがした。それは幾たびも続いた。
 乾いた大地では亀裂が入る、隆起する、陥没する、大穴が空くなどの地異が生じた。だが二者のいるアガントゥ山だけは崩壊するどころか、山容を変えることすら全くもってなかったのである。それはのちの、人の世にあっても変わることがない。アガントゥが神々の峰たるゆえんである。ともあれ世界を創造するはずの二者は、(かえ)って世界に破滅をもたらしたのである。
 幾多の争いを経たものの、両者の力は常に伯仲しており決め手を欠いていた。
 ある時ついに、ザビュールは兄ヴァルドデューンと(たもと)を分かつことを決意し、アガントゥの山を下りていった。このことによりヴァルドデューンは、自分が弟を負かしたのだと思い上がった。
「アガントゥこそ神の住まう峰にふさわしい。ここ、“天界(アルグアント)”からは地上の全てが見てとれる。私と同じ視座に立つ者は、もはやいない」
 ヴァルドデューンはアガントゥ山の高みから地上を眺めつつ世界を調整し、生命を創ろうと企てた。

 一方、地上に降り立ったザビュールは、荒廃した大地をただひたすら歩いていった。地平の彼方を目指し、まっすぐに。その間、一度たりともアガントゥ山を振り返ることはなかった。悠久の大地と満天の空。アリューザ・ガルドは途方もなく広大であるとザビュールは知った。
 人の時間にしてひと月に及ぶ彷徨(ほうこう)の果て、ザビュールはようやく後ろを振り返った。アガントゥは彼方の黒闇(こくあん)に隠れている。ザビュールは安堵した。ヴァルドデューンの監視の範囲外に出たからだ。
 兄がいない場所で、ザビュールは増長して言い放った。
「“天界(アルグアント)”など笑止な! 兄の居場所はまったく狭隘(きょうあい)だ。アガントゥが虚空の遙かへと貫いているとはいえ、彼自身は天に至ることなどできないではないか。それに比べて大地はかくのごとく広い。この地を制することこそが覇道なのだ」
 ザビュールは広大な地上に潤いをもたらし、生命を創ろうと企てた。
 そのために彼は光を欲した。暗がりが支配する地上に変化をもたらすためである。ザビュールは天高く両の掌を突き上げると、己が持つ大いなる権能を発動させた。彼の掌に光球が発現し、みるみるうちに巨大なものへ変わっていく。光も輝きを増し、目も眩むばかりの白銀の物体となった。ザビュールはこれを上天——数多の星々と同じ位置にくくりつけた。
 これこそが原初の月である。世界に“光”がもたらされた。そして月は、アリュゼルの神が産み出したはじめてのものだ。地上は白銀の月光によって(ほの)かに照らし出され、アリューザ・ガルドは“(いろど)り”を得た。色づいたことによって世界の様相は、従前とは別世界のように見えるようになった。

 だが第二の生において神々の心は荒みきっていた。“美しい”という感情が芽生えるわけもなく——
 ヴァルドデューンは、月を見るなり激昂した。これは監視のためのものかと弟を疑ったのだ。何より、自分より先んじて創造物を誕生させたことに憎悪の念を募らせた。
「愚弟め。貴様が創った物体を宙にくくりつけるなど……私より上に至ろうというのか。不敬である!」
 ヴァルドデューンはその権能をもって月を沈めようとしたが叶わず、次に撃ち墜とすべく光弾を放った。が、月は天の高み——虚空のさなかに位置しており、彼の攻撃は届くことがなかった。為すすべがないヴァルドデューンはまたしても、激しく憤るのだった。

 そんな兄を嘲笑うように、地面を伝ってザビュールの攻撃波が押し寄せてきた。粉々に破壊された地殻が大波のごとく、全方面からアガントゥへと襲いかかる。ヴァルドデューンは持てる力の全てを使ってこれを食い止めた。アガントゥは不動。しかし二者の権能のぶつかりによって、アガントゥの周囲には環状山脈が創られた。のちのスマキオ環状山脈である。

 ヴァルドデューンはザビュールをはじめて脅威に感じた。彼はアガントゥにただよう雲を召喚し、世界の空全てを覆い尽くすほどまでに巨大化させた。そして雲を全て水に変えると地上へ洪水のごとき雨を降らせたのだ。豪雨はたちまちのうちに水たまりを作り、さらにそれは湖へ、海へと大きくなっていった。
 地上のザビュールは力を使い果たしており、波濤(はとう)に飲まれて為すすべなく溺れ死ぬことになるが、彼は死の間際に呪詛を吐いた。この“神殺しの呪詛”はヴァルドデューンの神核を的確にとらえ、すぐさまヴァルドデューンは呪殺された。
 兄の神の死によってようやく雨は止んだ。

 アリューザ・ガルドには大海原が誕生していた。月明かりのもと、黎明(れいめい)の静かな、何者をも存在しない世界がただ照らされるのだった。

 二者の魂はふたたび“幽想の界(サダノス)”へと赴き——


◆◆◆◆


[第三の生]

 アリュゼルの神々は、三度目の現界を果たす。
 だが具象化を目前に、二者の魂はこれまでの所業を深く省みた。

「僕らは二度、この地に生を受けたものの、二度共に殺し殺され、虚しく死んでいった」
 ヴァルドデューンは言った。
「このままでは駄目だ。今度受ける三度目の生も、おそらくはそのまた次も、戦いを続けてしまうに違いない。僕たちが持たされた、忌まわしい宿業ゆえに。いずれ僕たちは世界を完全に滅ぼしてしまうだろう」
 ザビュールの言葉にヴァルドデューンは同意した。
「僕らは宿業から脱せねばならない。ヴァルドデューンとザビュールのままであってはならないんだ」

 こうして——
 ザビュールだった魂はイルーサヴィアを名乗り、姉となった。
 ヴァルドデューンだった魂はデューナレウを名乗り、妹となった。
 三度目の生において、二者の神格は全く変わったのだ。

 ここに、我らがよく知る“アリュゼルの女神”が誕生した。
 彼女たちがアリューザ・ガルドを創造していくのだ。


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